すずめの戸締まり小説と映画の違いは?|重要なセリフの有無や比較・考察

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「すずめの戸締まり」は、新海監督自らが書き下ろした小説版があります。

映画製作をより深いものにするために、新海監督が鈴芽の心を文章で追いかける作業として小説を執筆しているため、心理描写がとても細かく、映画にはない情報も多く含まれています。

また逆に、小説では登場せずに映画でのみ説明されている情報もあります。

小説を読んでから映画を見に行った筆者が「映画のみ」「小説のみ」鑑賞した方向けに、今作をより楽しむために知っておいて欲しい情報を、

  • 映画にだけ出てくる情報
  • 小説にのみ出てくる情報

に分けてまとめてみました!

この記事は、小説版と劇場版の「すずめの戸締まり」のネタバレが含まれますのでご注意ください。

映画にのみ出てくる情報

まずは、映画だけの描写について。

羊朗とサダイジンの会話

草太の祖父・羊朗の病室から鈴芽(すずめ)が駆け出して行った後、小説では草太のアパートに場面が切り替わっています。

映画では、どこからともなくサダイジンが窓辺に姿を現し、それを見た羊朗がサダイジンに語り掛けているんですよね。

「これはお久しゅうございます。とうとう抜けてしまわれたか。あの娘についていかれるんですね。どうぞ宜しくお願い致します。」

映画 すずめの戸締まり

(記憶を頼りに書き起こしているので一字一句正確ではないと思いますが)
このセリフから「羊朗がサダイジンと過去に面識があること、敬う気持ちを持っていること」が伝わります。

要石の個人的考察

映画館でこのやり取りを見たときに、羊朗が鈴芽(すずめ)に言った「草太はこれから何十年もかけ、神を宿した要石になっていく」というセリフの背景と合わさって非常に納得して、要石について下記の考えが浮かびました。

  • 過去、草太と同じように戸締まりに奮闘した閉じ師が犠牲となって要石となった
  • 閉じ師は、要石を神として崇め、災厄を鎮めてくれることに敬意を表している。
  • サダイジンは長い期間をかけて完全に神となった要石、ダイジンはまだ神になり切れていない要石

ダイジンは封印を解いて「うちの子になる?」と言ってくれた鈴芽(すずめ)に愛着しています。

閉じ師にも関わらず自分を敬う気持ちがなく、自分を再度要石として封印しようとしている草太に敵対心を持っていることも、辻褄が合うかなと。

後ろ戸に先回りして「また沢山人が死ぬね」などと草太を煽っていたのも、要石の役割が自分に移ったことを気づかせて、ダイジンの代わりに草太が要石となってミミズを封印してくれるように誘導していたものと思われます。

鈴芽(すずめ)の勉強内容

エンドロールで、芹澤と3人で壊れた車で東京まで帰る様子や、お世話になった神戸のルミや愛媛の千果を訪ね歩いてお礼をする様子が描かれていましたね。

その後、宮崎の自宅に戻った鈴芽(すずめ)が勉強に精を出していることは小説でも描かれますが、映画で映し出されたのは「看護師」になるための本。

母親の想いを受け継いで、自分も看護師になることを決めて(包帯の巻き方が手慣れていたことから、元々看護師になりたいと勉強していたのかも)未来に向かって歩き出している様子が描かれています。

小説では「看護師」に向けてという明確な描写がなかったので、それを知れてとても幸せな気持ちになりました。

小説にのみ出てくる情報

小説のみに出てくる情報は細かく沢山あるのですが、その中でも特に重要な点は以下だと感じています。

東日本大震災を指し示す一文

まずはやはり「2011年に日本の東側で列島の半分が揺れるような大きな地震があった」と小説ではハッキリと記載していることでしょう。

映画では映像で訴えかけるインパクトが大きすぎるからか、現実に起こった地震であることは明確に表現されていません。

小説でも頭痛が起こるくらい号泣してしまいましたが、明確な記載で覚悟ができたこと、また文字を読むスピードの調節や反芻することで、自分の中で消化できるペースで読めたことが、この点での小説の良さだと思いました。

初見で映画を見ていたら、あまりの衝撃にストーリーが消化できていなかっただろうなと感じています。

鈴芽(すずめ)と環の関係性の描写

出典:すずめの戸締まり公式HP

今作では、鈴芽(すずめ)と環の関係も、重要なテーマです。

お互いが関係性を図り兼ね、環が鈴芽(すずめ)を必要以上に心配して、鈴芽(すずめ)がそれを重いと思っていることは伝わりますが、スピーディーな展開の中で詳細に説明されることはありません。

しかし小説では、鈴芽(すずめ)の環に対する心情が細かく描かれています。

環さんが毎朝作ってくれるお弁当を、私は時々学校に持って行くのを忘れてしまうのだ。わざとじゃない。わざとじゃないけど、お弁当を持たない日はほんの少しだけ解放感がある。

~中略~

環さんには相変わらず隙がない

小説 すずめの戸締まり

細かい人なのだ。喋りながら壁一面の写真を見つめている環さんの姿が、私には見える。学芸会、運動会、二度の卒業式、三度の入学式、環さんは必ず満面の笑みで記念写真を撮り、隣に写る私の笑顔はいつでも少し淡い。

小説 すずめの戸締まり

この辺りの鈴芽(すずめ)の心理や、2人の関係性が把握できる小説での描写が、今作のもう一つのテーマである「家族愛」を理解するのにとても重要だと感じました。

そして、大破した芹澤の車を降り、道に落ちていた自転車に鈴芽(すずめ)を乗せてペダルを漕ぐ環。

必死になって自分のために汗を流す環と和解して笑い合った後、小説には鈴芽(すずめ)の気持ちが描かれていました。

笑うなんて、ものすごく久しぶりのような気がする。もしかしたら私たちが一緒に笑うために― 私はふと思う。このために、サダイジンはあの場に出てきてくれたのかな。

小説 すずめの戸締まり

サダイジンが環へ憑依したことに関する個人的考察

下記の別記事でも少し書きましたが、日本神話や神道における神は「荒ぶる神(荒魂)と和ぎる神(和魂)」と、1つの神でも2つの側面を持っているという概念があります。

神の二面性を支えるために人々は様々な神事を行い、神道の信仰の源となっているようです。

また、荒魂は災いを人々に引き起こす反面、その荒々しさから新しい事象や物体を生み出すエネルギーを内包している魂ともされています。

成熟した神であると推測されるサダイジンは、環に憑依することによって「環と鈴芽」それぞれに澱のように沈殿しきっていた想いを吐き出させて一度壊すことにより、再構築のきっかけを作りました。

また「うちの子になる?」という言葉を通して「鈴芽とダイジン」も同じ関係性であると理解させたかったのかもしれません。

言葉の持つ残酷さと責任。

自分の立場や相手を想う心をしっかりと認識して、お互いにいるべき場所に戻るように促したのかもしれません。

正に、日本神話や神道で昔から言い伝えられ、祀られている「荒ぶる神(荒魂)と和ぎる神(和魂)」の振る舞いそのものですね。

参考:wikipedia

【番外編】草太と芹澤の2万円

これはどちらかにしか出ていない情報ということではなく「本当は芹澤が草太に2万円を借りていた」ことを伝えるシーンが、映画と小説での描き方が違うという点です。

  • 映画
    →芹澤が環に「本当は自分が草太に2万円借りている。草太は忘れているみたいだから黙っていて」と口止めする。
  • 小説
    →常世から出て芹澤(環と共に眠っている)がいることに驚いた草太。貸してた2万円を取り返しに来た経緯を伝えた鈴芽に、草太は「俺が借りたじゃなくてー 俺が貸しているんだよ、芹澤に」と呆れながら説明する。

ただただ「友達である草太のことが心配」で探していることを悟られないように「借金回収」というもっともらしい理由を付けていた芹澤ですが、映画の方が、環と芹澤の「何も分からずに大切な人のために奔走した者の同士感」というか、関係性が際立つ感じがしますね。

あとがき

新海監督があえて東日本大震災を描く、重たくも力強いメッセージが込められた覚悟の一作。
東日本大震災から11年でこのテーマを扱った善し悪しは判断できる立場じゃないですが、相当の覚悟を感じます。

賛否両論さまざまな意見があるかと思いますが、やはり新海監督の真骨頂はその映像美。
地震描写に抵抗がない方は、是非劇場でご覧頂くことをお勧めします。

今回、筆者は小説を読んでから劇場に足を運んだのですが、情報量が多く、かつ日本神話や神道にまつわる要素が物語のカギになっているので、文字で読んでから映像を見たことで理解が早かったなと感じました。

もう映画をご覧になった方、初見の感動は映像で!という方は、映画を見た後に小説を読むと知識が補完・整理されてより深く理解できると思いますし、エピローグは、端的ではありますが小説の方が映画よりもしっかり説明があるので分かりやすく、しばらく余韻に浸ってしまいました。

映画を見てストーリーを消化できていない方には、是非小説をお勧めしたいです。

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