藤井風とサイババ(宗教)の懸念点|何が問題なのか|信仰や選択の自由の阻害が論点

※本ページはプロモーションが含まれています。

藤井風さんの2つのアルバムタイトルはHELP EVER HURT NEVER」「LOVE ALL SERVE ALL 」

これらは、有名なインドの聖人「サイババ」の代表的な言葉です。

なぜ、藤井風さんはサイババの言葉をアルバムタイトルに引用したのか。
そのことを世間で問題視する声が上がっているのはなぜか。

これらの問題を紐解くために、

  • 引用しているサイババの言葉の意味
  • 藤井風さんと「サイババ」の関係性
  • 藤井風さんとインド
  • 藤井風さんの音楽活動とサイババの教義について
  • サイババとはどんな人物か
  • 懸念されている問題点

上記を調べてまとめてみました。

・前半が藤井風さんとサイババの関係性について、後半が今問題になっている点について記載しています。
・随時追記していったらビックリするほど長文記事なってしまったので、目次から読みたい項目へ飛ぶことをお勧めします。


・筆者は2021年紅白で知ってからの藤井風さんファンです。
・ファンになった当初からサイババの件は調べて知っていましたが、イロモノ扱いされないだろうか…という漠然とした不安だけで「何が問題になるのか」については、理解できていませんでした。
・ライブ参加に向けて、自分の気持ちを整理する意味合いも込めて、随時更新しています。

  • タイトルや歌詞への引用問題やステルス布教は明確な線引きは難しいが、

    「サイババの教えとして広く知られている言葉をグッズに入れて販売したこと」
    「それを着用した藤井風ファンを見た第三者に「サイババ教団と関係がある人物」だという誤解を与え兼ねない状況を作っていること」

    は、道義的・倫理的な観点で問題視されても仕方がないと感じる。
  • 本人の怒りのインスタに衝撃を受け、私にとっての藤井風初ライブを見ても前ほどの熱量が戻らなかったので少し距離を置いた。彼の持つ背景やストーリー性に魅せられて「宗教に造詣が深い彼ならきっと…」と自分で幻想や虚像を創り上げていた部分があったなと反省した。
  • あの局面であの動画を出すこと自体は今でも残念だなと思うし、彼の本音や本質を知った上で変わった気持ちもあるけど、彼の才能は本物だと感じる思いは変わらないので、世界に羽ばたいて欲しい心から願っている。
  • 運営に対してはどうしても懐疑的に見てしまうが、前よりも頻度は減ったものの藤井風の音楽は聴き続けているし、次にどんな楽曲がリリースされるかも気になり、楽しみにしている。
  • 国際的な動きが本格始動しているので、ユニバーサルミュージックや宗教や世界の文化に詳しい専門家と戦略を練っているはず。今後の展開を見守りたい。
  • (新情報)LOVE ALL SERVE ALL」「HELP EVER HURT NEVER」「God Bless us」を商標登録しているという点について、

    HEHN・LASAの商標登録をサイババ教団は許したのか、そもそもノータッチなのか、金儲けに使っちゃダメという教えとの兼ね合いは大丈夫なのか。
    「God Bless us」は登録したのに「I AM YOU」はしないのはなぜか…

    など、少し気になっているが、この点も専門家が最適化する(した)のだと信じたいと思う。
目次

藤井風とサイババ|アルバムタイトルの意味

LOVE ALL SERVE ALL HELP EVER HURT NEVER」

「すべての人を愛し、すべての人に奉仕する。常に助け、決して傷つけてはならない」

インドの聖者サティア・サイババが唱えた代表的な言葉です。

藤井風さんのHELP EVER HURT NEVER」「 LOVE ALL SERVE ALLのアルバムタイトルは、両方ともサイババの教えをそのまま引用したものです。

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デビューアルバム、セカンドアルバムと、2作続けてサイババの言葉をアルバムタイトルに使用するということは、よほどの思い入れがあると推察します。

ではなぜ、藤井風さんはサイババの言葉をこんなにも引用するのでしょうか。

HELP EVER HURT NEVER」のアルバムタイトルについて、藤井風さんはインタビューでこう語っています。

うちのオトンが大切にしているというか、よう聞かせてくれとった言葉でもあって、
全ての事ここにきゅきゅきゅーっと集約されてとるような言葉じゃと思ったんで

【報ステ特集】藤井風さんコロナ禍で共感…死生観

藤井風さんの音楽性や人柄、思想は父親から大きく影響を受けていますが、アルバムタイトルに込められたサイババの言葉も、父親が大切にしていたものだったということです。

また、MUSICA5月号HELP EVER HURT NEVERという言葉をアルバムタイトルにつけた経緯を、藤井風さんとマネージャーさんはこう説明しています。

藤井風さん:
これも偶然が重なったというか。上京して今のスタッフのみなさんにお世話になることが決まった時、みなさんがわしのことを理解するために、一問一答みたいなアンケートを用意してくれたんですよね。その質問の中に「座右の銘は何ですか?」みたいな項目があって、そこにHELP EVER HURT NEVER』って書いたんですよ。そうしたら、それをなぜかやけに気に入ってくれて。

~中略~

マネージャーさん:
僕らは、みんな初めて聞いた言葉だったんですけど、その「決して傷つけない」って言うのが彼の本質だってわかった時に、HELP EVER HURT NEVER』の精神を持って彼のレーベルをやろうという事で、レーベル名をその頭文字を取って「HEHN RECORDS」にしようとって言うのがまず決まったんです。

MUSICA5月号

座右の銘としてスタッフさんに話したところ、「藤井風の本質を表す言葉だ」と周囲が気に入って、まずはレーベル名になったということでした。

アルバムタイトルに付けることについては、ご本人としては葛藤があったことも吐露しています。

藤井風さん:
アルバムタイトルをどうしようかってなった時に、HELP EVER HURT NEVER』しかないだろうって感じだったんですよ。でもわしは、シンプルにアルバムタイトルとして長すぎるやろと思って、ちょっと抵抗して。もうちょっと覚えやすくてキャッチーなアルバム名が良いかなと思っていたし…。あとそんな壮大なテーマをアルバムタイトルに掲げちゃっていいのかっていうこともあったかもしれない。この言葉をアルバムタイトルに付ける事への責任というか、そういうのを思うとおいそれとつけられる言葉ではないというか。

でも最終的に、そのくらいの責任を持ってというか、これくらいの精神を掲げて音楽人生のスタートを切ろうっていうふうに思えたので、この言葉をアルバムタイトルにつけました。

MUSICA5月号

「この言葉をアルバムタイトルに付ける事への責任」の中には、サイババの言葉だということも含まれていると推察されます。(この言葉がサイババの教義であることを周囲に伝えた上で進んだ話なのかは気になるところです)

最終的には、全てに覚悟を持って音楽人生をスタートさせたという背景が良く分かりました。

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藤井風とサイババと実家の写真

藤井風さんの実家で撮られたYoutube動画には、サイババの写真が映っているものがあります。

出典:youtube

日々の生活の中に「父から教えられるサイババの精神」「本人の写真」が当たり前のようにあり、特に違和感なく素直に受け入れながら育ってきたのでしょう。

【追記】
11月末に世間で「藤井風とサイババ」の件が話題になった後、2022年のクリスマスにアップされた藤井風さんのInstagramストーリーでも、上記の動画の切り抜きを掲載。
しっかりとサイババの写真が映り込んでいたので、本人の中では「隠すもの・触れてはいけないもの」という認識は持っていないようですね。
(そうなると、「サイババ」の固有名詞が出て来ないことがより不思議に思えます。名前だけは出すなと言われているのかな。
→2023/1/8追記:存命中のサイババが「サイババの名前を出して営利活動をしてはいけない」と言い残しているそうで、そこを守っているのかもしれないという意見もあります。)

また、最近この投稿がリツイートされていて気付いたのですが、藤井風さんが持っている私物と思われるスマホの待ち受け、恐らくサイババですよね。

少なくともご本人が、父親からの教えというだけでなくて、サイババという人物自体を認識し、思い入れがあるということも分かりました。

【追記】藤井風とインド

2022/9/19付のInstagramでは「私の魂の故郷」であるインドにいると投稿がありました。

以前、お母様の誕生日にInstagramにアップされたこの写真。

2022/9/24のInstagramストーリーに再掲された際には「1999 in India」と、2歳の時にインドに訪れたときの写真だと付け加えられていました。

また、お揃いのオレンジのスカーフについてインドのファンの方が、

  • Chunni(チュニ)/Dupatta(ドゥパッタ) と言われるスカーフと思われる
  • インドのパンジャビスーツの3点セットのうちの1つである
  • 他にも、洋服を着ている場合でもお祈りや儀式をする際には胸元にあしらう事が多い
  • オレンジ色はとてもおめでたい色とされる

とご説明されていました。
オレンジ色はヒンドゥー教徒にとって神聖な色で、火葬のときに遺体を包むのもオレンジ色の布だそう。

サイババカラーもオレンジ。
サイババに会いにアシュラムの訪れる人は、オレンジのスカーフを巻いていないと中に入れないという話も聞きました。もしかしたら、サイババに会いに行ったのかもしれないですね。

MV撮影をインドで

2022/10/10に公開された「grace」のMVもインドで撮影されました。

上記のInstagramにあった9月のインド滞在は、MV撮影だったんですね。

インドの文化や日常の美しい風景と、自然体の藤井風さんの魅力が凝縮された今作は、バックパッカーに扮した藤井風さんが、インドで自分の中にある本当の自分(内なる神)を見つけて心を解放すると読み取れるストーリー。

このMVの中で藤井風さんは、今までに見た事のない本当に良い表情をされていて、
「自分の魂の故郷で、信仰や思想を明確にカミングアウトできた解放感にあふれている」と、藤井風さん自身の状況と重ね合わせることができました。

公式アプリのスタッフ日記で、藤井風さんの考え方について

お腹にいる時と生まれた後すぐに、祝福を受けに家族で行ったインドにあると思っている」

とマネージャーさんが説明されています。
(出典:「風の秋祭り Part.2」2022/10/28)

出典:藤井風公式アプリ

祝福を受けに行ったのが「サイババ」であったとしたら、ご両親の信仰が非常に深いということが分かります。
またその深い信仰が生活に根付いている家庭で生まれ育った藤井風さんが、ご両親同様に深い信仰心を持つようになったとしても不思議はないですよね。

上記の公式アプリのスタッフ日記でマネージャーさんは、藤井風さんの売り出し方についてこう明かしています。

しかし、風の本質的なことを知れば知るほど、このままこの人のことを世の中に出したら、誤解を生じる(理解されない)可能性があると考えていました。

いきなり、彼の人間性すべてをみせて(全てを詰め込んで)デビューするより、まずは音楽性を先に見せていく方が良いんだろうな。感覚的な物ですが、そんな気持ちがありました。

出典:藤井風公式アプリ「風の秋祭り Part.2」2022/10/28

デビュー曲「何なんw」の解説動画で「ハイヤーセルフ」という言葉を出して信仰やスピリチュアルに傾倒している人物であることは開示している点をみると、「風の本質」とは主にサイババを信仰していること等、信仰心が深く根ざしていることを指しているのではないかと筆者には感じられました。

ライブでもインドを再現

また、2022年10月にパナソニックスタジアムで行われたライブでは、宗教色を全開にした演出で来場者を驚かせました。
(スタジアム外のエリアのベジタリアンフードの販売、釈迦(インド僧)を彷彿とさせる演出→袈裟を着て座禅を組んで登場、インド国旗を模したオリジナルの旗、ナグチャンパを焚いた飲食・物販ブースなど)

出典:藤井風公式アプリ

「風の考え方を視覚的にみせるライブにしよう」と考えたと、ライブの詳細発表や後日のスタッフ日記などでマネージャーさんが明かしています。

パナソニックスタジアムライブでは、「LOVE ALL SERVE ALL 」の文字が入ったインド国旗を模した旗が、会場外のブースやライブ演出にも使用されていました。

藤井風さんにとってインドは幼い頃から根付いているルーツの1つで、今の思考を形作った非常に大切な場所だということ。

そして、自分の信仰の源を音楽やライブで形にしたいという気持ちを持っているということが読み取れます。

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藤井風とサイババ|サイババの教え

サイババの教えが藤井風さんの思想や楽曲にどう反映しているかを見てみましょう。

アルバムタイトルである

LOVE ALL SERVE ALL HELP EVER HURT NEVER」
「すべての人を愛し、すべての人に奉仕する。常に助け、決して傷つけてはならない」

以外にも、サイババの教えに通じると思われる楽曲が沢山見受けられます。

「神はあなたの近くに」→「何なんw

【サイババの教え】

・神はあなたの中にいて、あなたのすることを、いつもたくさんの目で見ています。たとえ誰も見ていなくても、神はいつもあなたの行いを見ています。

・神はあなたから離れて、遠くにいるものではない。神はあなたの中に、あなたの前に、あなたの後ろに…

・神は一つ一つの存在の中にいるのだ

これは、デビュー曲の「何なんw」に「 誰しもの心の中に存在しているハイヤーセルフ(神様)を探そう」というメッセージに込められていると考えられます。

▼ 「何なんw」について本人が解説している動画

愛を与えて捨てて許して→「帰ろう」「旅路」

【サイババの教え】

・荷物が少なければ、身軽になって、旅は楽しいものとなります。欲が少なければ少ないほど、人生という旅は、もっと容易く、もっと幸せなものになります。


・愛は、与えること(giving)と許すこと(forgiving)によって生きます。

これは、 「帰ろう」や「旅路」に通じる考え方だと感じますね。

と言っても、サイババの教え自体が、世界のあらゆる宗教・スピリチュアルの精神を取り入れている傾向があるので、曲に込められたメッセージはサイババ独自の教えというより、全ての宗教の根源にある思想という印象も受けます。

是非こちらも併せてご覧ください。

音楽で表現すること

また、藤井風さんの表現者としての活動と通じると思われる、サイババの言葉も発見しました。

【サイババの教え】
あなたのハートからメロディとハーモニーを湧き上がらせ、その歌を通してあなたが表現する愛に、すべてのものが喜びを見いだせるようにしなさい。

愛を獲得しなさい。その方法によって、今世界の人々を冒している恐れと不安、貪欲と妬み、憎悪と高慢を鎮め、平安と喜びの時代を築くことができます。みんな幸せでありますように――これは、すべての人の心から自然に生じる祈りです

「カーストはただ1つ、それは人類というカースト。宗教はただ1つ、それは愛という宗教。言語はただ1つ、それはハートという言語。神はただ1つ、そして、神は遍在」

世界中が経験したことのない不安に襲われるコロナ禍にデビューし、愛に溢れた音楽で人々の心を癒していった藤井風さんとの重なりを感じます。

サイババとはどんな人なのか?

続いて、サイババについて。

昭和50年代生まれである筆者の認識だと、日本で報道されていた内容から、正直「灰で人の悪いとこ治せる奇跡とか、犯罪疑惑とか、何だか怪しい人」という「インチキな人」感が強い人物でした。

ファンになってすぐに、アルバムタイトルがサイババの言葉であるとは調べて知ったものの「サイババの言葉を使って大丈夫だろうか…」という漠然とした不安だけで、どんな問題に発展するかまでは理解できていませんでした。

ちゃんと知っておこうと思い、サイババの経歴について調べてみると、

疑惑、功績両方ありましたが、最終的には葬儀は国葬として行われるなど、国を挙げて称えられた人物でした。

サイババの生い立ち

サイババは、1926年11月23日に南インドの貧しい農村で生まれます。

本名はサティヤ・ナーラーヤナ・ラージュ (Sathya Narayana Raju)

14歳の時に、自分が「シルディ・サイ・ババ」の生まれ変わりであり、 人々の悩みを取り払うために降臨したと気づいて「サイ・ババ」を名乗ることにしたとのこと。

「シルディ・サイ・ババ」とは、ヒンドゥーのヨーガ行者 、イスラームの修行僧であり、没後も多くの人から崇められている当時のインドの聖者で、「シヴァ神」と「シャクティ神」のアヴァター(化身)と言われていた人物。

ちなみに、「サイ・ババ」の意味は、

サイはペルシャ語で「聖なるもの」「聖者」
ババはインド圏で「父」という意味です。

▼初代のサイババであるシルディ・サイババ

出典:amazon

苦行を耐え抜いてきた修行僧、猛者感があふれまくってますね

インドでは、サイババといえばこの初代サイババのことを思い浮かべる人が圧倒的に多く、本物の「神の化身」として絶対的な存在なのだとか。

▼シルディサイババ寺院にはシルディ・サイババの銅像や墓があり、今も多くの信者が訪れていて混雑しているそう。

初代のサイババであるシルディ・サイババは、11個の約束を残して1919年に亡くなるのですが、その約束のひとつに、

8年後、南インドのヴィシュヌ神を信仰する家に生まれ変わるだろう。

というものがありサティヤサイババはその7年後の1926年に南インドで生まれます。

この約束もあって、2代目のサイババ「自分が先代 シルディ・サイババの生まれ変わりだ」と思ったのでしょうね。

一部の藤井風さんファンが「藤井風はサイババの生まれ変わり」という主旨のブログやSNS投稿をされているのも、2代目サイババも亡くなる前に「生まれ変わる」予言をしており、その予言の年(2018年の終わりから2019年ではないか?と言われていた)に藤井風さんがデビューしたことから発生していると思われます。

藤井風さんは、2019年11月18日に初のオリジナル音源「何なんw」を配信シングルとしてリリースしましたが、公式サイトの正式なデビュー日は「何なんw」のミュージックビデオが公開された2020年1月24日とされている。

サイババの奇跡と疑惑

1940年10月20日にサイババが家を出てからインド各地で説法を始めると、不治の病を治す、手から灰を出す、何もないところから貴金属を取り出すなどの行為を「奇跡」と称されて、インド全土のみならず、世界中にその名が知られていきました。

日本では、1990年代にこの奇跡が伝わり一大ブームになると同時に「イカサマか!?」とメディアが報道したのもあり、それが個人的には強烈に印象に残っています。

それについて、サイババ本人は否定してこう答えています。

「奇跡は、(人々を)私のほうに振り向かせるための名刺にすぎない。だが、この名刺がなければ、だれも私の栄光のかけらにさえ気づかない」

その他にも、サイババの身の回りには殺人事件や少年に対する性的虐待など様々な事件や疑惑があり、一時期は信奉者も減ったこともありますが、全て本人の関与や罪が立証された訳ではなく、本人も潔癖を主張しています。

奇跡のトリックは置いておいても、教祖の信者への性的搾取の話は残念ながら珍しい話でもないので、告発が出たということは恐らくあるんだろうなぁと個人的には思わないこともないですが…。

「サイババによる児童・青年への性的虐待や臓器売買疑惑、物質化現象のトリック疑惑をインタビューで暴いた」というこちらの本も読んでみました。

物質化はトリックだということは周知の事実だと思いますが、その他については事実だったら相当酷いことだとは思いました。
後程紹介するサイババ信者の著書を読んでも、サイババ自身の行動には疑問や矛盾しか感じなかったので、これらの疑惑が絶対にないとは言い切れないなと個人的には感じました。

ただ、全てインタビュー形式で裏付けや証拠はないですし(特に性犯罪では難しいと思いますが)、著者が最後にスピリチュアルグッズの宣伝しているところで、一気にこの本に対しても胡散臭さが増してしまいました。

権力者が大きな力で悪事を揉み消すのは世の常です。
確かな証拠が出てきていたら断罪されていた訳ですから、どこまで調べても限りなく黒に近いグレーといった印象です。

【追記】
2004年にBBCで放送されたドキュメンタリー「The SIecret Swami Satya Sai Baba」がYoutubeにありました。
日本語の自動生成字幕(ちょっと分かりにくい)で視聴しましたが、被害者インタビューや、警察や政府との親密な関係により性的虐待や殺人事件を揉み消してきたことが伝えられています。
やっぱり癒着なのか…という感じ。

※殺人現場の衝撃的な写真(40:00前後)があるので、鑑賞時にはご注意ください。

サイババの功績

2001年以降、無料病院の開設、インドやタイなど国内外で120校以上の教育機関を設立、水道設備の供給といったサイババの「教育・社会・医療」の面での奉仕事業が高く評価され、再び信奉者が増え始めたといいます。

恵まれない女性を援助するサイ・ババの活動は、全インドで特に高い評価を得ており、インド大統領からも祝辞を述べられたとか。

2011年に85歳で死去の際には、その功績を称え、葬儀は国葬として執り行われています。

インドの大統領・首相以外で国葬が執り行われたのは他にマザー・テレサだけだというので、インド国内・政府から評価されている人物だということが分かりますね。

調べれば調べるほど、表と裏の功績・疑惑双方ありますが、多くの人に恩恵を与え、崇められた存在であることは間違いないようです。

真実は分からない中で、どの側面を信じるかで評価が分かれる人物ですね。

【追記】
個人的な感想ですが、BBCのドキュメンタリーを見た後に考えると、政府や警察が性的虐待や殺人を揉み消した代わりに、サイババが奉仕事業に財力を投じて国の向上に力を貸したとも見えますね。

思っていた以上にきな臭い世界が広がっています。

サイババ信者の著作から見つけた、藤井風が作り出す世界との共通点

一通り調べてみて「信者はどのようにサイババを捉えているのか」が知りたくなって、下記の本を読んでみました。

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この本を選んだ理由は、

サイババに対して猜疑心を持っていた女性信者の葛藤が書かれているという点

「愛と奇跡の旅路」というサブタイトルに藤井風さんの発信している内容との共通点を感じたこと

Amazonの電子版なら無料で読めると知り「お金かからないなら読んでみようか」
くらいの軽い気持ち

でしたが、新たな発見がありました。

読んでみて印象的だったのは、一切の詮索や勧誘行為などせず、出会った信者の方々が著者を温かく見守ってくれていたという「寛大な優しさ」や、「もうひとつの新しい宗教を作るために来たのではない」というサイババの意志のもと、寄付などの金銭の授受が厳しく禁止されていたということ。

信者の著作ではありますが、誹謗中傷報道で出来上がった「サイババのダークなイメージ」を覆すクリーンさで驚きました。

著者が体験した「奇跡の体験」の中には、「いやいや、それはさすがにこじつけだろうよ…」と感じる部分もありましたが、藤井風さんファンの方々のSNS投稿にもある、

  • 自分に寄り添ってくれていると感じる近さ
  • 縁を感じてしまうような類似点
  • 尊敬の念

が生まれて心惹かれていく部分も似ているところもあるのかなと考えたり。

最初はグッと近づいて鷲掴みにするけどあとは距離を取ったり、あらゆる解釈ができる言動を取って相手を惑わせたりなども、ちょっと似ているなぁと思ってしましました。

中でも、特に印象的だったのが、巻末のこの部分。

サイババを知って、なにが変わったのかと訊かれたら、
さわさわとした孤独の代わりに、一体感を感じるようになったこと、
どこか不安な世界に代わって、暖かなぬくもりに包まれていると感じること、
「ここ」に「今」いることがうれしくて、宇宙の果てまで大好きだと感じること、
そう答えるでしょう。

そしてこの、私の中に広がりはじめた平安こそ、サイババからの贈り物なのかもしれません。


サイババからの贈りもの――愛と奇跡の旅路

この「サイババ」「藤井風」に変えても成立してしまうのではないかと感じてしまいました。

SNSにも「藤井風さんや、藤井風さんを好きだという仲間に出会って人生が豊かになった」という声が多く、まさにこのように感じているファンの方が多いのではないかとお見受けします。

また「同じ時代に生きている喜び」にも言及していて(出版当時はサイババはまだ存命だった)その点も似ているなと。

藤井風さんは「少しでも多くの人が幸せな人生を送れるように」と願って音楽活動されています。

活動内容は違えど同じ教え・考えを発信している訳で、カリスマ性や才能を備えた藤井風さんを取り巻く環境がサイババのそれに似てくるのも、必然なのかもしれませんね。

正直、これを読んでもサイババに対する胡散臭さは抜けませんが、著者のアップダウンする心情が率直な表現で書かれていてとても読みやすく、サイババの教えや直接の面会などにも興味を引かれて一気に読んでしまいました。

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【追記】藤井風Instagramでの信仰に対して怒りの意思表示

信仰に対して怒りの意思表示

筆者もかなり衝撃を受けて追記掲載するまで時間かかってしまいましたが、
2022/12/31午前に藤井風さんがInstagramストーリーにアップされた「自分の信仰」に対して言及した動画です。

※藤井風さんのSNS公式アカウントやアプリから発信した動画・画像に関しては転載が許可されています。

かなり頭にきているようで、2本に分けて投稿された動画は終始非常に感情的で、1本目は嘲笑すら見られます。

いろいろな訳がある中で、一例を掲載させていただきます。
(英語のニュアンスや表情から、もっと辛辣な翻訳をされていた方もいました)

I mean how can you think, how dare you think that you can shake my faith my spirituality? I’m so sorry, cause you never ever will.

よくもまあワシの信念、精神性を揺さぶることができると思ったもんだね。悪いけどそれは絶対無理じゃけん。

okay mind your own business and fix yourself before you try so hard to find other peoples faults. i will do so too so let’s do our best.

わかったから、余計なお世話。他人の欠点をそんな必死に探す前に、まずは自分のこと直せよ。ワシもそうするから…うん、精一杯やろうぜ。

how dare~/よくも~できるねmind your own business/余計なお世話だ、など、非常に強い表現が用いられていました。

何に対しての怒りかは明言されていませんが、主張は下記の2点。

  • 自分の信仰(faithspirituality)は揺るがない
  • 人の欠点を探すな

ということのようです。

faith/spiritualityとは?

faith

自信、信念、確信、信仰、信条、誓約

spirituality

霊性、精神性。個人的な安らぎや、人生の目的、他人とのつながりの感覚、人生の意味についての信条といった、奥深く、しばしば宗教的な感情および信念と関連があること。

1/14追記:
文春の取材にて、この動画投稿はサイババの件で運営に改善を求めるプロジェクトに対して『紅白に引きずりたくない、いったん区切りたい』という気持ちで行ったことだと、マネージャーの河津さんが明かしました。

筆者にとっては非常に衝撃的で、仮に水面下で酷い誹謗中傷が届いていたとしても、このセンシティブな信仰の話題に対して「怒りの対象」を明らかにせず、ファンも多く見るSNSで、感情に任せて好戦的にブチ切れちゃうのは本当に残念でした。

そもそも、音楽やグッズに信仰を持ち込んだのは自分達なので、ネガティブな反応に対しての覚悟は当然にあると考えていました。
また、この件に触れて宗教や信仰心について調べ始めた筆者でさえ感じているのだから、これだけ宗教や信仰に造詣が深く、その精神性を大切にしている藤井風さんなら「他者の信仰の自由や選択の自由を奪う」という指摘に対して、何か感じることがあるのではないか…とも思っていたので。

ビジネスに乗せてしまった以上、本人の意思だけでは動かせない部分もあると思うので、このまま沈黙でやり過ごす可能性はあるかもとは考えていましたが、まさかこんな発信をするなんて…。

世間の大半は藤井風さんの信仰については認めていて、音楽への取り入れ方について議論しているのに、それが伝わっていないのだろうと思われること。
脊髄反射的な攻撃は、藤井風さんの盲信的姿勢を暗に示しているようで、火に油を注いでしまったなぁと悲しくなりました。

ただ、本人の強い意思がハッキリ分かったということは、良かったのかもしれません。

さすがにこの投稿は朝になって運営側が気づいたら削除されるだろうと思っていたのですが、24時間経って自動でストーリーが消えるまで放置していたことにも驚いています。

1/2以降に発信されたマネージャーさんによるスタッフダイアリーも、この騒動には一切触れていません。

上手く消化して言語化できるか分かりませんが、また追記できたら最新の気持ちを記載したいと思います。

1/5追記:
自分の信仰を欠点と表現するとは思えないし、動画内で言及していた「人の欠点」とは何を指すのかがずっと引っ掛かっていたのですが、もしかしたら「サイババの犯罪疑惑」について言っているのではないかと考え着きました。

藤井風さんを盲信するがあまり、擁護のために攻撃的になってしまっているコアファンの方々と、藤井風さんのこの様子が重なって見えてしまい、藤井風さん自身もサイババ擁護のために「人(サイババ)の欠点(疑惑)を探すな」と攻撃性が表れてしまったのではないか。

宗教はのめり込むと、自分を宗教の教えや教祖と同一視してしまい、それに対する異なる見解や指摘を一切受け入れなくなる特徴があるとのこと。
まさに藤井風さんがそうなってしまっているのではないかと考えたら納得はいったのですが、同時により悲しく、彼の信仰心を無防備に晒し続けるこのままの状態にしておいていいのかと心配にもなりました。

その信仰心を含めて「藤井風を藤井風たらしめているもの」であるとも思うし、その恩恵を音楽として享受している側の人間として、何とも言えない気持ちになっています。

いちファンが心配したところでどうなる訳でもないし、彼の人生のことなので見守るしかないのですが…

1/14追記:
あんなに攻撃的で人を嘲笑うような態度を全世界に発信しないと進めない道に、彼が望む未来が本当にあるのだろうか。盲信的な信仰で正常な認知ができない状態では、どんな建設的な意見も届かないのでしょうね。本当に残念です。


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【追記】アルバムタイトルはガンジーも引用した「インドの古文」説

【2023/1/9追記】

藤井風とサイババの件が話題になるにつれて、

LOVE ALL SERVE ALL HELP EVER HURT NEVERは元々インドの古文で、ガンジーもスローガンに使っていた普遍的な言葉だ」

という主張も出てきました。

▼マハトマ・ガンディー(ガンジー)

出典:wikipedia

藤井風さんが引用した言葉がサイババオリジナルでなく、ガンジーも使用していた普遍的なインドの古文だった場合、この問題はどうなるのでしょうか。

言葉の出典により変わる問題もあるかもしれませんが、

  • 藤井風さんが引用した2つの言葉がサイババのスローガンである
  • 現在もサイババ団体側のグッズとしてこのスローガン入りのグッズが販売されている


などの事実から、大元の問題の構図や、聴く側、買う側に起こる現象は変わらないのではないか?と個人的には感じています。
まだ初めて知った段階で詳しく調べることができていないので、何か分かったことがあれば追記します。

次からは「藤井風さんとサイババの関係についての問題点や懸念点」を個人的な感想も含めて述べていきます。

※「藤井風さんの怒りの発信」を受けて筆者の気持ちも変わってきたのですが、上手く言語化できるか、できたとしても時間がかかりそうなので、これ以降の記事内容は「怒りの発信を見る前」の見解となります。

様々な考えがあると思いますが、これ以降に記載するのはSNS等での意見や指摘などを読んで考えた筆者一個人の見解になり、特定の立場の方を批判・擁護する意図は一切ありませんのでその点はご理解ください。

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藤井風とサイババの問題点と懸念点~個人的な感想含む

懸念点として、世間で問題視されている点には下記があります。

アルバムタイトルやグッズ等にサイババの言葉をそのまま引用していること

何が一番問題視されるかと言えば、やはりこの「アルバムタイトルやグッズ等にサイババの言葉をそのまま引用していること」ではないでしょうか。

そもそも、何か第三者が作ったものを自分の創作物にそのまま引用するならば引用元を明示したほうがいいのは確かですがそれをしなかったこと、その引用元が疑惑のある宗教家の言葉であることで、さらに問題がややこしくなっている状態です。

それがどのような問題を生むのか、以下で説明していきます。

▼現在発売中のオフィシャルグッズにも「LOVE ALL SERVE ALL」のロゴが入っています。

ステルス布教と捉えられる点や、聴く側の「選択の自由」の侵害

自分の信仰や精神を嘘偽りなく発信していきたいという想いがあるのだろうと推察していますが、結果的に藤井風さんを介してサイババを知り、サイババに興味を示しているファンも少なからずいます。

サイババ自身に興味を持たなくとも、その教えを「好きなアーティストの言葉」として何の疑いもなく内在させていく形になるので、他に信仰を持っている方は知らずに異教を信仰してしまうことになり、「自分の信仰に対する裏切り行為をしていた」と葛藤している声もありました。
(他の宗教を取り入れることを一切禁じている宗教もあるとのこと)

また、好きなアーティストがアルバムタイトルに掲げるくらい大切にしている「推しの父親の言葉」と思っていたものが第三者の言葉であったと知ったら、特定の信仰を持っていなくても裏切られた気持ちで動揺するファンがいても不思議ではありません。
その事実だけでもショックなのに、その言葉をスローガンにしているのが、長い歴史の中で多くの人に認知されているキリストやブッタなどと違う「数々の疑惑があるサイババ」ですし、知った側が心理的嫌悪感を持つ要素が多い状況です。

グッズにもサイババの言葉をそのまま引用しているため、「知らずにサイババの言葉を身につけていた」ということにショックを受けている方など、実際に消化しきれない想いを吐露している声もSNSでお見かけしました。

サイババが掲げるスローガンを知っている人から見たら、藤井風グッズを身につけている人を「サイババの信者」と認識してしまう可能性もあります。

▼サイババ団体から発売されているグッズ。第三者から見たら「藤井風グッズ」か「サイババグッズ」かの判別は難しい。

サイババの言葉をそのまま引用し、サイババの存在を知らせないことでファンに「サイババ(他、本人の思想以外)の言葉なら聴かない、買わないという選択権がない状態」が問題であると。

良く例えとして挙がっている下記が分かりやすいかもしれません。

  • ベジタリアンの人に、肉が入っていると知らせずに肉入り料理を提供している状態
  • 日本産の食材を日本加工したお弁当」だと安心して食べていたら、「全く知らない国の食材を現地で加工したおかずも含まれていた」事を後で知り、ショックを受けて提供側を信用できなくなる状態。
  • 「嫌なら食べなければいい」と言われても、食べてしまった分は既に吸収されているのでどうすることもできないという不快感や嫌悪感。

    →食べる前に知ることができない状態では、適切な選択ができないからフェアじゃないという主張。

意図せずともその状況は、宗教団体の存在を明かさずに勧誘するカルト教団と同じ手法であり、「音楽を介して特定の宗教を布教させている」などと捉えることもできてしまう状況だということが、今回の問題点として上がっています。

SNSでも、全ての思考が藤井風さんが発信するサイババの教えに基づいている方も多くいて、その構図は宗教の布教と変わりない状態です。

実際に、サイババ団体が発売したグッズに飛びついたり、サイババの言葉を発信するサイババ団体のTwitterアカウントをフォローする藤井風ファンも多くいて、その危うさが露呈しました。

【2023/1/10追記】
学生に向けてのプロジェクトであるNTTドコモの企画「KAZE THEATER – docomo future project」に提供した曲「grace」も、歌詞・MVにヒンドゥー教やサイババの教えが含まれています。
(MVに関しては、インドの街並みやガンジス川での沐浴、ヒンドゥー教の神様の登場など、宗教色をより強く感じます)
このプロジェクトに「未成年に対して特定の宗教思想を刷り込むことになるのではないか?」と問題提起する声もありました。

宗教色濃いめのMVが企業タイアップ曲で許されたことには多少驚いた部分はありましたが、今まで筆者はこのプロジェクトが「子供に対する刷り込みになる」とまでは考えが及びませんでした。

ただ、親の立場として考えると、自分の子供が「好きなアーティストの楽曲にまつわる課題」に取り組んでいるだけのはずが、いつの間にか「親も子も全く知らない宗教の教えを取り込んでいた」となっていたら、その構図は確かに怖いと感じてしまいます。
何の価値観も出来上がっていない真っ新な子供に対しての配慮はもっとあった方が良かったのかもしれないですね。
親として「子供が触れるもの」に対してしっかりと注意をしなくてはいけないと、戒めにもなりました。

と同時に、どこからどう見ても刷り込み構図になっているものならまだしも、注意をしたところで何かしらの「意図しない影響」を受けることを完全には防げないだろうし、こちらが善いと思って許可したものであっても、受け止めた子供がどう感じてどう影響されるかは分からない。それは大人も同じで。

「他宗教のスローガンをそのまま引用」「他宗教のスローガンをそのままグッズ化→知らずにファンが身につける」などの分かりやすい要素があれば「それは問題かも」という話にはなりますが、「表現の自由」と「受け止め側に及ぼす影響」を考えていくと非常に難しいな…とも感じています。

藤井風ファンの元々の特徴や属性

SNSで拝見すると、藤井風さんのファンには、

  • 40~60代の女性
  • 初めて「推し」を持った人
  • 辛い時に藤井風さんの楽曲で人生救われたと感じる方

が、他のアーティストよりも多くいる印象です。

※以前、当サイトで実施した「チケットトレード」に関するアンケートでは、回答者のうち
40代が約36%、50代が約16%、60代が5.8%」という結果でした。
ライブチケットに関するアンケートだったということで60代率は低めなのかもしれませんが、SNSにはお孫さんがいる女性ファンも多いので、60代も追加しています。

特に、サイババも発信している死生観を取り入れた楽曲「帰ろう」のYoutubeコメント欄には、この曲が発信するメッセージに救われている多くの方がいます。

世界中が不安に包まれたコロナ禍でデビューしたというのも、多くの人の心に届いた理由と言えそうです。

※説明不足だったので追記:
筆者も40代女性なので実感としてあるのですが、人生の中盤に差し掛かり、老いや死をはじめ、家族や仕事など自分の力ではどうにもならないことに直面する機会が増えてくるのがこの40~60代。
アルバムタイトルの言葉や「執着を手放す」「足るを知る」「自分を愛する」「死は元いた場所に帰るだけ」などという、自分の意識を変えて気持ちを楽にできる言葉に救われることは非常に理解できます。

特に「妻」「母親」の役割を担う方は、人知れず孤立したり日常的に心身に負担を抱えている方も多く、そこに辛い要因が重なれば何かにすがりたくもなります。

当人の資質にもよるのは大前提なのですが、大きく環境を変えることができないケースが多い40代~60代の女性、かつ何かの理由で生きづらさを感じている方には、「今の自分を肯定してくれて寄り添ってくれる」これらのメッセージは特に刺さりやすいと考えます。

また、藤井風さんの恵まれたビジュアルと母性をくすぐる人柄も、その世代の女性を惹き込む要素ですよね。

それが、藤井風さんの発信する音楽や言葉に40~60代の女性がハマりやすい理由で、同時にその土台にある宗教やスピリチュアルな世界にまで到達して傾倒・熱狂しやすい理由ではないかと個人的に感じています。

「宗教二世」問題

昨今の事件で「宗教二世」について注目されていて、宗教に対して辛い思いをしている方も大勢います。
また、宗教や宗教二世に対して考えや想いがある方は、宗教二世の「親の信仰を引き継ぐ」「有無を言わさず教えを刷り込まれる環境」「自由な選択権がない」などの問題が、藤井風さんの生い立ちや音楽活動の方針と類似しており、その構図の危険性を熟知している方々は警鐘を鳴らしています。

宗教二世問題
親が子に信仰を強要し、子に自由な選択権がない。
→幼い頃から教えを刷り込まれて「特定の宗教を信仰させられている」という認識なく、世間の広い常識や価値観を知らずに育つ。

藤井風さんの音楽活動
「サイババの言葉だ」と知らせずに音楽に教えが引用されていることにより、ファンが無自覚にサイババの教えを取り入れてしまっている→ファンが自分の意志で「サイババの教えなら回避する」という選択肢を奪われている。

また、自分の考えの中に取り入れる程度ならまだしも、母親が藤井風さんに傾倒し過ぎて子供に対して「同じ思考を強要する」「藤井風さんの教えを通してでしか物事を判断しなくなる」「物心つく前からそれと知らずにサイババの教義を刷り込まれる」などした場合、藤井風さん自身が「宗教二世」問題を作り出してしまうことにもなります。
(実際に母親他ご家族が藤井風さんを通じてサイババの教えに傾倒して、話が通じない、冷静な話し合いができないなどの声もSNSも多く拝見するようになってきました。)

推しに対する愛が強すぎて、傾倒し過ぎるあまりに見境がなくなってしまうことは「どんな人」にでも「対象が誰であれ」起こり得ることですが、

  • 藤井風さんの魅力的な音楽や人柄、言葉に内包されているのは、長年信者を増やし続けてきた宗教集団の確立された教えである。
  • 宗教やスピリチュアルに傾倒しやすい方が引き寄せられている
  • (アーティスト側もファンとの近さを意識していることもあり)初めて推しを持って距離感が分からない状態の方が多い
  • 家族に影響力が大きい母親世代の方が傾倒しているケースが多い

などの要素から、問題が顕著化しやすいのだと考えます。

この辺りは、藤井風さん側の責任かと言われると何とも言えないですが、事象として百戦錬磨の宗教団体の言葉を、魅力溢れる「藤井風」さんが発信したら、リーチしやすい層への影響力は計り知れないですよね。

サイババや宗教に対しての日本人の反応と懸念

サイババの人格については、信者の著書からでさえも疑問に感じる部分は多々ありましたが、広めている教えは良いものだと個人的には思います。一般信者の活動内容もクリーンであることが書かれていました。

ただ、90年代に物心ついていた日本人のサイババに対する印象はきっと、当初の私と同じく「何だかうさん臭い人」ではないかと思います。(若い人には「誰それ?」と名前すら知らないかもしれませんが)
調べてみても、功績と疑惑双方が出てきて、殺人や性的虐待についての疑惑が完全に晴れている訳ではないです。
インド国内政府や警察と癒着し、事実を揉み消した疑惑さえあります。

藤井風さんご本人がサイババの疑惑についてどう捉えているかは分かりませんが、サイババが掲げるスローガンを一字一句変えずにアルバムタイトルに付けるという行為は、そのような犯罪疑惑のあるサイババを支持していると受け止められてしまっても仕方がない部分はあり、これにも様々な思いを抱く人はいるでしょう。

じゃあ最初から「これはサイババの言葉を引用したものですが…」と説明したら良かったかというと、それはまた音楽マーケティング的にも微妙ですよね。
(売り出す方法を考えていた際の心境を書いたマネージャーさんの日記にもありますが、恐らく「本質そのままを出すと誤解される」と考えて、あえて明言せず伏せていたのでしょう。)

サイババの思想に基づいている事実は変わらないにしても、藤井風さんが自分で考えた言葉であったなら、双方に逃げ道があったのかなと個人的には思います。

リスクも加味して、マネジメント側は覚悟を持って藤井風さんに合う方法で戦略的に売り出していると思う(そう信じたい)ので、その辺りも織り込み済みで対策されていると思いますが。。。

次項でも書きますが、実際にファンが世界中に増え続けている現状が1つの答えになるのかなと思います。

世界での反応

信仰に馴染みの深い海外では、宗教色の強い楽曲は抵抗なく受け入れられるのではないかという意見も多いです。

それぞれの宗教観によっても受け止め方は様々ですが、海外ファンの中には藤井風さんの楽曲を「自分の信仰に照らし合わせて聴いている」と、全く気にしていない方もいます。

日本と比べれば海外の方がサイババの知名度が高いはずなので、アルバムタイトルからサイババと紐づけて拒絶する人、後で知って運営の方針に疑問を感じる人もいると思いますが、それこそサイババ信者の方は喜んで応援するでしょうし、世界全体が分母になれば支持層も必然的に増えるとは考えます。

また、音楽と宗教の親和性は高く、海外アーティストの中には信仰を全面に押し出している方も多くいます。ビートルズも、インド思想に傾倒してインドに籠って曲作りをしていました。
ステルス布教と捉えられるような音楽活動はしていませんでしたので、また少し話は違うかもしれませんが、海外では「アーティストは何かしらの宗教を持っている人が多い」との考えで、その対象が何であれ特に気にしない、切り分けて考えられる方も多いかもしれません。

デビュー当時から「国内外で活躍するアーティストになりたいと思っている」と発信していたのも、自分の背景や音楽に込めた思想を鑑みてのことだと感じます。
葛藤があったにせよ、アルバムタイトルにしちゃってる時点で、全く隠すつもりがないですから。

実際に、現在全世界で流行している藤井風さんの「死ぬのがいいわ」ですが、2022年10月26日に公開されたYoutube映像、ライブ演出で使われた「Visualバージョン」のコメントは約半数が海外言語で、既に多くの海外ファンを獲得していることが分かります。

音楽サブスクリプションサービスSpotifyでは、11月末時点での月間リスナー数が1000万人を超え、日本国内アーティストではブッチギリの1位になっています。
世界中に広く聴かれていないと出て来ない数字ですので、この点でも藤井風さんの人気は世界クラスになってきていると感じます。

世界が「サイババの教えを引用・内在させている藤井風の音楽や存在」をどう捉えるのか、筆者の知識や経験値では計り知れない部分があるので、引き続き調べていけたらと思います。

  • 「知る前と知った後では天と地ほどに差がある。もちろん応援もしない。自分と会社に多数のリスナーが裏切られた気持ちと傷をつけたという事実を必ず認知したら良い」
  • 「もう聴けない」
  • 「曲を全部削除した。本当に腹が立っている」
  • 「よりによってエセ宗教…」
  • 「どうすればいいんだ…」

など、怒り・戸惑い・悲しみなど多種多様でしたが、ざっと見た限りではこの件を「問題ない」と認識している声は見当たりませんでした。

また、日本の問題提起を引用した韓国のツイートが多く拡散され、この件は韓国でも知れ渡り始めているようです。

日本より宗教の文化が重んじられている韓国で信仰されているのは、大半が「キリスト教と仏教」とのこと。
韓国のキリスト教には母胎にいる時から信仰を持つほどの信仰心のある家庭出身の子という意味で「母胎信仰」という言葉と考え方があり、一般的に認識されているほど「親から子への宗教の継承」は身近なようです。
(昨年末のNHKスペシャルを引用して「藤井風は母胎信仰だったの!?」という驚きの声もありました。)

また、韓国の新興宗教団体「新天地イエス教」が、K-POPや日韓交流を入り口にしたセミナーを通じて宗教へと誘い込み社会問題となっている関係で、特に今韓国では、カルト宗教や実態を隠した布教活動には敏感になっていると見受けられます。

※新天地イエス教は2020年、セミナーに陽性者が参加して100人規模の集団感染を起こし、日本でもニュースになったあの宗教団体です。

この反応も一部なので全体像を掴むには情報不足ですが、宗教が絡む問題はそれぞれの国で事情も違うでしょうし「海外なら問題にならない」と一括りにできるほど単純な事案ではないようですね。

自分が疑問を感じたことに対して「黙って去る」という対応が一般的なのは日本だけなので、もし海外で名前を広く知られた後にこの問題が噴出した場合は、現在の騒動の非にならないくらい容赦なく追及されてしまう可能性もありそうです。(日本だからこのくらいで済んでいるとも言えそう)

そんな姿は絶対に見たくないのですが、運営側はこのまま突き進むのでしょうか。何事もないと良いですが…。

参考:日本人女性「洗脳されていた」 勧誘活発化させる韓国新興宗教 “10万人”の集会も

ファンはこの件をどう捉えたら良いのか

本人と運営の意識

サイババの言葉をタイトルにしたアルバムをリリースすることがどのような意味を持つか、藤井風さんも運営側も全く認知していなかった訳でなく、そのリスクを背負ってでも発信したかったことなのだろうと推察しています。
(当初はそこまで大きな問題になるとは思っていなかった可能性もありますが)

その信仰があるからこそ、多くの人を魅了する藤井風さんという人物や楽曲が生まれたことも事実です。

そして、藤井風さんの音楽活動の方針によって傷ついたり動揺したり、疑問視している人がいることは確かですが、その方針は「藤井風さんの信仰や音楽活動の自由」の上に成り立っているもので、明確な悪意がある訳ではないのではないかとも推察します。

しかし、藤井風さんサイドが藤井風さんの信仰の自由をこのような形で推し進めることにより、結果的に藤井風さんの音楽を聴いているリスナー側の「信仰・選択の自由」や「知る権利」を奪ってしまっていることも事実です。

裏切られたと傷ついている人や、問題視している人が過敏で大げさなのかというと決してそうではなく、

  • 宗教や信仰心は非常にセンシティブな事案
  • 音楽やグッズに引用した教えがサイババの教義だと明らかにしない運営の方針
  • サイババには疑惑も多いという事実
  • 藤井風さんの幼少期からの環境

などを鑑みると当然の反応だと個人的には感じています。

悪意がないにしても、サイババの言葉をそのまま引用しての音楽活動は、見る人から見たら疑問や問題意識を持たれてもしょうがない行為ですよね。

運営側には不誠実さや疑問も感じるし、「もっとこうすれば良かったんじゃないか」という個人的意見(所詮は部外者の結果論ですが)はありますが、
ではこれが非難を浴びるべきことで今後謝罪や説明が必要であるほど「悪いこと」なのかと問われると、筆者には答えが出ません。
ファンやリスナー各個人が知って考えることは大事ですが、その先は非常にセンシティブな問題だなと感じます。

SNSなどでは、葛藤や疑問視するファンの声も目に見えて増えてきていますが、現時点で運営側からこの件に関しては言及はありません。

また、2022年10月のパナスタライブで信仰をカミングアウトして以降、12月からのアリーナツアーでも、引き続き衣装はインド僧をイメージしたものでした。

今後も、信仰にまつわるライブ演出などは続くのかもしれません。

Instagramのプロフィール欄には8月頃から「God’s lover(神の恋人)」と記載しています。

前々から薄々感じていた筆者の個人的な考えですが、本人の認識として「神(サイババやヒンドゥー教など)に自分が近しい存在と認識して、その教えを世に伝えるために音楽という手段を用いている」ということなのかもしれないと、色々な材料が揃ってよりそう思えてきました。

「布教したい」「これは布教だ」という意識や明確な線引きが本人の中にあるのかは分かりませんし憶測の域を出ないですが、もしかしたらその使命を果たすため、自分や音楽を媒介として、教えを世界に広めようと活動をしているのかも。

自分を神格化する動きや傾向に戸惑ったと言いながら、愛を唱えて自分を神と模した演出をしたりしているところを見ると、筆者がこれまで認識していた「目的と手段」が逆なのかもしれないなと。(既に感じている方も多いかもしれませんが)

運営は本人の特性や意志を尊重しつつ、前代未聞の才能が音楽ビジネスとして成り立つように、明言を避けて解釈を受け手に委ねて押し進める方針を取っていると考えたら、特に説明や方針転換をせずに宗教色を全開にし続けているこの状況にも納得ができる気がします。

インドで祝福を受けたことを伝えたスタッフダイアリーでも、戦略には悩み、彼の本質を明かす前に音楽を先行させたことが書かれていましたね。

そうじゃなきゃこんなリスクを含んだ戦略を取らないだろうと思ってしまいます。

また、その使命感が本人の自立した意志なら、その気持ち自体は個人の自由で問題ないと思うのですが、もし親から刷り込まれたものだったとしたら、宗教二世の問題ど真中でまた少し見方が変わってきます。

日本語投稿で時々顔を出していた、実年齢より少し幼く、多少感情的・衝動的で強い芯を持った一面が彼の性格のコアの部分ではないかなと思っていたので、「目指すべき理想」として高尚な愛を連呼することで本来の自分や本音を覆い隠しているような印象も受けました。(あくまで一個人の感想です)
彼が多用する「もがき」という感情が、背負うには大きすぎる使命に対してでなければ良いなと、本当に大きなお世話で、根拠のない妄想ですが考えたりもしています。

→2023/1/10追記
ここで書いた心配が年末の動画に全て表れていたようにも感じて、衝撃がいまだに拭えずにいます。動画の件に触れた「この発信を見た筆者の感情」でも記載しましたが、彼の中でも冷静に向き合い切れていないと思われるセンシティブな信仰心を、むき出しのまま音楽に乗せてしまっているこの状態が果たして彼にとって良いことなのだろうかと、一ファンが考えてもしょうがないことですが、答えのない思考の沼にはまっています。

私達ファンはどうしたら良いか

私達ファンは、この件を全て理解した上で「全く気にしない」方はそのまま応援で問題ないですし、「違和感や疑問」を感じた場合は少し距離を取って考えてみる。
「楽しく音楽を聴けない」なら離れるしかない。
そうやって自分なりの向き合い方を模索していくことになるかと思います。

藤井風さんの音楽や人柄を好きだからと言って全て受け入れる必要はありません。
藤井風さんとサイババは別の人間ですし、仮に藤井風さんがサイババを崇拝していたとしても、それは彼の信仰の自由。
そして、藤井風さんの音楽を聴いているからといって、サイババを支持していることにはなりません。

(追記:自分が心地良いと感じる媒体に乗せられた言葉や思想は、無意識に深層に入り込んでいつの間にか根付いていることも多いとのこと。「自分は大丈夫」だと思っていても制御できないこともあるので気を付けた方が良いという注意喚起もあります。)

ただ、切り分けて考えられないのなら苦しむだけ。
好きなのに離れなくてはいけないのはとても辛いと思いますが、ファンを辞めることは避けられないかもしれません。

個人の背景や考え方、推しとの向き合い方によって受け止め方が違うのは当たり前なので

「何で今更?」
「好きなら調べたりしないの?今まで気づかないなんて…」
「傷ついたって言うなら離れればいいだけ」
「推しの信仰なんて関係ないでしょ。気にし過ぎ」

などと思っても、葛藤されている方や問題提起されている方を攻撃することは論外ですし、藤井風さんを必要以上に擁護することも、火に油を注いで悪手だと思います。
葛藤している方は、そんな周りの声を一切気にしなくて大丈夫です。

楽しいはずの音楽や推し活にモヤモヤや苦痛が伴うのは本末転倒。
アーティストは所詮アーティストで、遠い他人です。
何やかんや言ってくる人もあなたの人生に責任のない赤の他人。

生じた気持ちとご自身を大切にしながら、しっかりと自分との対話で答えを出していくことをお勧めします。

その過程の中で「藤井風さんが取り入れているものだから」と無条件にサイババを支持しようと努めることだけは絶対避けたいですね。

ファンがしっかりと自分の頭で考え、盲信した行動を避ければ、この件に対しての懸念や問題点は多少なりとも軽減されると考えます。

【1/11追記】文春にて河津社長のインタビュー掲載

2022/1/10に文春電子版にて藤井風さんとサイババの件について掲載されました。

「藤井風さんの音楽活動を通じたサティヤサイババの思想伝道における運営の問題の改善」を求めるために発足された“IIYY Project”の発起人であるお2人や、藤井風さんが所属する「HEHNレコーズ」社長兼マネージャーの河津知典さんのインタビューが載っています。

“IIYY Project”が運営側へメッセージを募るTwitter投稿

文春記事内での河津さんの発言を要約すると、下記になります。

  • プロジェクトの存在は知っているけど、対応のしようがない。
  • サイババのことは隠していた訳ではなく、言う必要がないから言っていなかった。
  • もし隠したかったら、藤井風が宗教チックなマインドを持っていること自体を止めさせるはず
  • それは藤井風を否定することになる
  • 藤井風は『日本の宗教観はもっとカジュアルであるべきだ』と言っている
  • 藤井風に特定の宗教を広げる意図は無い
  • 紅白前のインスタ投稿は、今回の騒動について『紅白に引きずりたくない、いったん区切りたい』という本人の気持ちから行ったもの。

その他にも、藤井風さんが父親から強く影響を受けている話や、藤井風さんに悪意がないことを説明するために“いい奴”であることをアピールするエピソードなどが掲載されていました。

「運営側から明示する必要はない(言う必要性がないから黙っていた)」という見解であること、
またそれを伝える中で「藤井風さんがサイババを信仰していること」を河津さんが明言した形になり、事実上の開示となりました。

サイババを信仰していて楽曲にも取り入れていることをこの取材で暗に認めたのであれば、今後は引用元を公式にクレジットしても良さそうですが、それが出来ないのはやはり何かサイババ側との制約(「サイババの名前を出して営利活動をしてはいけない」と生前にサイババが言い残しているという説がある)があるのかもしれないですね。

この記事の表記だと、

  • リスナーの「信仰の自由の阻害」という指摘についての見解
  • 問題視する声が一番多く挙がっている、サイババのスローガンをそのまま引用したことや、グッズに入れて売り出したことへの運営的な責任追及

には直接答えていないという印象です。

※「日本の宗教観はもっとカジュアルであるべきだ」が「信仰の自由の阻害」への答えだとしたらあまりにも雑なので、一旦言及していないと考えて進めます。

「藤井風さんの信仰の自由」も「リスナーの信仰や選択の自由」も両立させて運営する方法があるのではないか、センシティブな信仰を音楽ビジネスに乗せた際の、主に「運営方針やマネジメント=社長である自分の選択」について問われているという認識がないということが気になりました。

この記事の河津社長の受け答えは、他人事のような印象を受けるほど非常に軽い話しぶりでしたし、問題視されていることに対しての回答がズレていました。

  • そもそも、この件がさほど大きな問題だと認識していない。
  • プロジェクトの存在は知っていても問題提起されている内容まで把握していない
  • 「藤井風さんの自由にやらせること」が前提の契約で「自分に責任がない」と考えている
  • 週刊誌の取材ならそんなに真面目に答えなくていいだろうと考えていた
  • 質問の仕方が的確ではなかったり、回答に文春フィルターが入って修正されている可能性がある

など、考えられる要因は沢山ありますが、「対応のしようがない~藤井風を否定することになる…」までは運営側の見解ですが、宗教に関してはあくまでも藤井風さんを主語とした話しぶりで河津さんの考えが書かれてはいないので、ご自身は特に宗教に対して考えや知識がないのかもしれません。
「宗教チックなマインド」という表現にも扱いの軽さを感じますし、「信仰や宗教のエンタメ利用」に対してのハードルや意識が低かったんだろうなと思わされました。

河津社長の考えがあった場合も「日本の宗教観はもっとカジュアルであるべき」と考える藤井風さんを尊重して、今現在もサイババの教えを楽曲に取り入れること自体は全く問題視していないということになるんでしょう。
問題提起をされた方々と藤井風さん側では、そもそも持っている宗教観が全く違うのだろうと感じます。

「藤井風さんの信仰を隠す=信仰を止めさせることになる」という思考も極論だなと感じました。
他人が止めさせられるようなものじゃないのが信仰心。
藤井風さんの信仰は自由だからオープンにしても隠してても良いけど、それを音楽に乗せて発信するなら、届いた先への影響を配慮した対応をした方がよくない?という話なのですが、リスナーだけでなく藤井風さんも含めた他人の信仰心や自由意志を軽く考えすぎていないかなと。

サイババがスローガンとして利用している言葉をそのまま引用したことや、グッズ転用に関しては、「創作時の引用マナーに関しての問題」や「知らずにグッズを身につけたファンがサイババ信者と誤認される事態を引き起こしている」という道義的観点からも指摘されているので、同様に問題がないとの見解なのかは気になります。
(宗教問題は非常にセンシティブで線引きが難しいと個人的に考えていて、こちらの方が明確な問題になりやすいのではないかと感じています。)

「日本の宗教観はもっとカジュアルであるべき」という言葉の真意は分かりませんが、自分の信仰だけに捉われず、もっと気軽に取り入れたり発信したりしていくべきという意味なら、怒りのインスト内容は矛盾していないか?とも考えてしまうので、咀嚼するのが難しいですね。

藤井風さんご本人にも運営側にも、明確な悪意があった訳ではないことは感じています。
ライジングサン出演決定時のように「走りながら対処する」のは業界の常だと思いますので、この問題も始めは気づかなくても、ここまで大きく言動に矛盾が生じる前に、どこかで第三者などが入って認識できたら何か違った道があったのかなと思わずにいられません。

または、周囲から「めちゃくちゃ心配性だ」と言われていた河津さんがここまで問題意識を持っていないということは、何か確かな裏付けや勝算があってのことなのでしょうか。それはそれで気になります。

プロモーションに対しての問題定義が主だという事を認識されていないからだとは思いますが、「藤井風に悪意はないんですよ、いい奴なんです」と見当違いの擁護をしている点も、藤井風さんの盲信的ファンと重なって見えてしまってしんどいものがあります。
(しかも披露したエピソードが衛生観念のない人アピールになっているという二重苦…。ライブ興行を抱えているアーティストですから、コロナ禍は特に他人の食べ残し関連のエピソードは積極的に話さない方が…)

引用元を明示した方がより誠実で良い方法だとは思うけど、絶対必要かどうかは筆者にも判断できないなと感じていたので、運営の「言う必要はない」との回答は想定内だし、落としどころとしてはそうなるのかなと驚きはなかったのですが、もし取材を受けたのがプロジェクトに寄せられたメッセージ(言うならば、自社の商品や興行にお金を使った顧客の声)を読んだ後だったとしたら、この軽いトーンでの受け答えは、ご自身のビジネスに対して責任感のない不誠実な方だと感じられて残念です。

せめて「全く寄せられたメッセージを読んでいない状態」だと思いたいですね。

藤井風さんの精神的な幼さや未熟さが本人では管理できなくなってきた以上、運営にはより慎重で客観的な舵取りが求められるはずです。
運営や本人に対して疑問や違和感を蓄積させたファンである筆者だからより一層そう感じてしまうのかもしれませんが、このインタビューには非常に不安を搔き立てられました。

本人があんなに攻撃的で感情に任せた動画をアップしなくては前に進めない状態が果たして健全なのか…。
このまま海外に行って、本当に大丈夫なのでしょうか。

内容が薄いと感じたので、もしかしたら後追い記事があるのかもしれないなとも思います。

プロジェクトの存在が知れ渡り炎上したこと、また週刊誌の取材への回答という予期せぬ形でしたが、河津社長が情報を開示したことにより、新しくファンになる方には「藤井風さんの楽曲や言葉の引用元」に辿り着きやすい状態にはなりました。

ただ、インタビューからは「公式に引用元をクレジットするつもりはない」と読み取れる以上、直接音源にアクセスするだけのライトリスナーには知らされず、問題が完全になくなることはないでしょう。

この段階になってしまったら、誰もが傷つかずにいられる正解はないと感じるので、現状が良いのか悪いのかの判断は筆者にはできませんが、結果的に楽曲に含まれる思想のルーツや運営の考え方がハッキリ分かったという点では進展したのではないかと個人的には思っています。

“IIYY Project”に寄せられたメッセージ

“IIYY Project”を立ち上げられたお二人のツイートはかねてから拝見しており、当記事にも問題提起されている内容を反映させて頂いていました。

筆者はお二人の全ての意見や問題提起に賛同できている訳ではありませんが、黙殺されてしまう「ファンの疑問や悲しみの声」の受け皿を作って運営に届けようと行動されている姿勢や、いつかは騒ぎになったであろうこの件が「ファンの問題提起から公になった」ことは、良かったことだな個人的には感じています。本当に大変な立場で戦っていらっしゃると思います。

プロジェクトに寄せられたという約200件弱のメッセージの中から、投稿者が「公開可」とした一部のメッセージが公開されていますが、様々な立場の方から「藤井風さんや運営に届けたい想い」が詰まっています。

藤井風さんの音楽が大好きだった方々が、事実を知った今抱えている様々な悲痛な想いについては、どんな考えをお持ちの方も一読する価値があると思います。
理解や共感はできなくても、この件がリスナーの心境だけでなく周囲の人間関係にまで影響を広げていて「非常に辛い想いをしている人がいる」という事実は、無視や軽視したりせずに認識したいというのが個人的な考えです。

▼下記の最新ページの冒頭に、過去に公開したメッセージへのリンクもありますのでご覧ください。
【2023/01/10 01:00現在】いただいているメッセージ内容を公開します

藤井風とサイババと実家の写真|疑惑のインドの聖人と父からの影響 あとがき

筆者は、サイババはクロだと思ってます(少なくとも性犯罪に対しては間違いないでしょう)し、この件以外にも藤井風さん運営のやり方や本人の認識に対しても矛盾を感じることが多々あり、純粋に「どうしてだろう?どう考えているのだろうか?」と疑問に思ったり、「またか…」と諦めの気持ちになることは増えてきました。
この件に限らず、常に「必要な時に適切な説明がない」という印象です。

藤井風さんについては、音楽も人柄も大好きです。
しかし、単純にまだ若いということもありますが、幼少期の環境の特殊性から、全ての思想が自分の自立した意志で咀嚼されて根ざしているものなのか、はたまた受け売りや刷り込みなのかが分からない点。
疑惑・功績を併せ持っているサイババという人物を本人がしっかり理解しているのかという疑問。
自分の経験を積み重ねていく過程で離脱するのか、またはしないのか…。
本心や本音が見えず、危うさや儚さを感じてしまう部分があるなというのが個人的な所感です。

アーティストは芸術家なので多少不安定さや未熟さがあってもいいとは思いますが、そんな彼を売り出すにあたり、内外に対してきめ細かなフォローや戦略・先手を打たない(と感じてしまう)運営側の姿勢も非常に気になります。

チーム風には親しみを持っていますし、個人事務所でこちらが想像する以上に少ない人数で運営していると話されていたので手が足りないことは重々承知していますが、音楽活動はビジネスですし、アーティストを管理し、守りながらファンの満足度を上げて収益化していくのは運営の仕事だよな、とは感じています。

「何も気にせず音楽を楽しみたい!ファンとして気持ちよく金を使わせてくれ!」が本音です。

その危うさや儚さが魅力ともいえますが、彼自身のパーソナルな問題だし、運営方針はきっと変わらないので、あとはこちらがどう受け止めるかの問題。
そんなの知ったこっちゃない!彼の作る音楽が好きだからどうでもええわ!と思う気持ちが勝ち、今のところは離れることなく聴き続けています。
(サイババ他、宗教色が最前面に出てきて音楽が純粋に聴けなくなったり、運営に対しての疑問が自分の中で抑えきれなくなったら流石に離れるとは思います。)

幼い頃から父親の思想を疑問なく吸収し、音楽の才能を伸ばすことに全振りして、たゆまぬ努力を重ねてきた青年。
これからも荒波はあるかと思いますが、マネージャーさんがあえて「普通じゃない」と表現する規格外の才能あふれる彼が、どのような道を歩んでどんな音楽を発信していくのか。そして世間はどう評価していくのか。
そこには非常に興味があるので、完全に気持ちが離れる日が来るまでは見届けたいと思っています。

「現時点で歌えることは歌い切った」という中で、来年の活動や新譜などがどう出てくるか、とても気になりますね。

<magazine>

「藤井風 完全読本」だけあって、これまでの生い立ちや1st、2ndアルバムの内容など、本人から引き出された言葉で深く理解できるマストな一冊。

幼少期から(中学時代にバスケ部へ入った時期以外は)音楽漬けの日々も疑問なく受け入れてきたことや、アルバムタイトルについても詳しく書いています。

別名「人を魅了する天才の育て方 ~藤井風の場合~」
サイババ問題を知ると見方も変わりますが、子育て中の親としてとても興味深かったです。

雑誌は売り切れ。電子版はAmazonなどで購入可能。
筆者は雑誌を購入しましたが、文字がえらい小さくてボリュームもすごいので、電子版で拡大しながら読むのもありだなと思いました。

>>MUSICA5月号電子版をAmazonで見る

【藤井風】記事一覧はこちら

▼ツアー全日程のセットリスト・レポート、衣装については、こちらからご覧ください

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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (12件)

  • 非常に面白かったです。客観的且つ正直に書かれていて、共感する部分が多かったです。60歳代の女性です。風さんの音楽の素晴らしさに惹かれていますが、サイババについては、ハア??なぜ今頃サイババなの?生理的に受け入れられないですが、彼の世界戦略の足枷になるのではないかと心配でもあります。

    • コメント頂き、また長文を読んで頂きありがとうございます!共感頂けて良かったです。
      初めて知った時には私も「なぜよりによってサイババにいった!?」と思ったので、お気持ちとても良く分かります。

      先程記事に追記もしたのですが、韓国でこの件が拡散され始めていて、なかなか辛辣な反応が多かったです。
      音楽は素晴らしくてもダメなものはダメというハッキリした声が目立っていて、海外なら、世界なら、と一括りにして楽観視できる問題ではなさそうだなと感じています。

      この戦略を選んだならば必ずぶち当たる壁だったと思うので、最小限のダメージで済むように運営側に舵取りして欲しいと心から願っています。

  • 藤井風さんの歌は魅力的だと思うんですが個人的には響かなかったので、このようなファンのかたのまとめはとても参考になりました。
    『本心や本音が見えず、危うさや儚さを感じてしまう部分』はマネジメント、プロデュースでうまくコントロールして欲しいと思ってしまいますね。

    • コメントありがとうございます!
      自分でも消化しきれないものを言語化しながら整理していったので、お役に立ったのであれば嬉しいです。
      音楽ビジネスとして提供している、いわば商品の売り方の問題ですから、最終的には運営側の責任になりますよね。
      今のところ何の動きもないので、もしかしたら第三者の手で広く世間に知れ渡るのを待っていたのかもしれないと、ぼんやり思ったりもしています。

  • 今朝Twitterでこの件を初めて知り、調べるうちにこちらの記事を見つけ一気に読みました。初めは半信半疑でしたが、記事がわかりやすく客観的に書かれていたので、気持ちが少しずつ落ち着いて状況を理解できました。これだけの内容を書くのに何時間もかかったのではないでしょうか。ありがたいです。私も風くんのファンですが、筆者さんと同じように感じた複雑でモヤモヤした思いを、記事の中でうまく表現してくださっていて共感しました。私もいつか、風くんのファンを降りる時が来るかもしれません。この件を知らずに初めてgraceの動画を見たときに、実は違和感を少し感じていたことを今自覚しました。でも今はまだファンでいます。来週はアリーナに行くことにします。良い記事をありがとうございます。

    • コメントありがとうございます!
      Miaさんのような方に読んで頂きたいというのが記事を書いた目的の1つだったので、お役に立てて本当に嬉しく思います。

      実はこの記事は、私がファンになりたての22年1月から掲載していまして、
      その際の内容は非常に浅く楽観的なものでした。

      その後もサイババについては折に触れて本を読んだり調べて随時更新していたので、
      「本当に大丈夫なのだろうか」という不安が強くなりながらも、その理由は分からず漠然としていて整理できずにいました。

      graceやパナスタライブで宗教色を押し出してくるにつれて、
      国内からの問題提起が始まってやっと「何が問題か」が明確に理解でき、後半部分を追記していったという次第です。
      (約1年分の私の葛藤が詰め込まれているので非常に長くなり読みにくかったのではないかと思います…。)

      ただでさえセンシティブな問題な上に、それぞれの立場によって考え方も大きく異なり、気軽に共有できない話だと感じたので、
      この件を知った方に、情報を正しく整理して冷静に自分の気持ちと向き合って考えてもらえることを願ってこの記事を書きました。
      その願い通りに読んだ方の一助になったのであれば本当に書いた甲斐がありました。
      改めて、コメントありがとうございます。

      私も来週、さいたまのライブに行きます。何を感じたとしても、しっかりと向き合いたいなと思っています。
      読んで頂き、ありがとうございました。

  • アップデートのたびに、記事を何度も読ませていただいております。

    12/28のNHKスペシャルの中で、パナスタのライブにインドネシアから来たというヒジャブを身につけた女性がインタビューを受けていましたが、彼女は今回の問題を知っていたら来てなかったのではと思いました。
    また、彼女が宗教色満載の演出を見て、来たことを後悔してなければいいなとも思いました。

    海外進出に向けては、専門家を入れて十分に対策を立ててから行って欲しいです。
    どなたかがTwitterで、『その国で受け入れられるか、拒絶されるかはその国の人が決めること』と書いていましたが、私も今後はそう思って見守るしかないのかなと思っています。

    • コメントありがとうございます!
      追記のたびに見にくくなっているので恐縮ですが、見ていただけて嬉しいです。

      インドネシアの彼女は、風さんと同じ場所に行って同じ構図で撮った楽しそうな写真がTwitterで良く流れてきていて、
      本当に大好きなんだろうなと微笑ましい気持ちで見ていましたが、確かに最近はTwitterでお見掛けしなくなりました。(先程検索してみましたがヒットせず)
      宗教や個人のスタンスによっても捉え方が違うのかもしれませんが、心を痛めていないと良いですね。

      本当にそうですね。
      日本という同じ国内でもこんなにもこの件に関しての捉え方が違うので、
      海外でもその国ごとの傾向や、その中でも個人差はありそうです。
      ただ声が上がった時は日本の比じゃないくらいの強烈さはありそうで恐ろしいですね。

      ユニバーサルミュージックでは、
      契約の際にじっくり話し合ってアーティストに合うように細かく内容をカスタマイズするようで、
      現在はその辺りはノータッチなのでしょうね。
      本当にどんな形でも良いので、専門家との協力は絶対にして欲しいですね。

  • はじめまして
    風さんのファンサイトかと思いきや、逆にこのようなコーナーがあることに驚きました。
    ご自身の気持ちを整理したい、という意図はよく分かりますが、
    純粋に彼の音楽が好きで、ここに辿り着いたので、
    好きになることに水をさされたような、鬱々とした気分が残りました。
    きっとこのサイトのおかげで、ファンは万単位で減ることでしょう。

    アルバムタイトルの語源などを考察するのはいいと思いますが、
    彼の宗教やその教祖などについて、中途半端な知識でここまで踏み込んで公表するのは、ファンサイトでありたいならば、流石にやりすぎな気もします。
    心のモヤモヤはよく分かります。大人はその辺みんな距離をもって接することができるので。恐らく彼のまわりにいる人たちも、折り合いをつけながらうまくやっているのでしょう。

    それでもファンの中には、彼に影響を受けて、サイババに傾倒する人も出るかもしれません。でもそれは信教の自由です。
    人の信じているものを貶すのはどうかと思いますよ。
    少なくとも私はここで風さんの思想が貶されていて、落ち込んでいます。

    運営のやり方がマズかった点は多々あると思います。docomoのプロジェクトに、graceは不適切じゃなかったかとは私も感じています。
    グッズに関しても、気にする人は買わないと思いますし、ここのように警鐘するサイトがあるのはとても良いことだと思います。

    MJもエホバであることは隠していなかったし、アメリカでは宗教に寛容なので、いっそのこと完全に向こうに活動拠点を移した方がいいでしょうね。
    ちなみにTwitterでも、特定の宗教に敵意や悪意を増幅させるものは通報の対象です。ここは個人サイトなのでもちろん自由ですが、大勢のファンが見にくる場所ですので、影響力は絶大だと思ってください。
    不愉快に感じられたら削除してください。申し訳ありません。

    • 忌憚なきご意見ありがとうございます。

      このサイトがファンサイトという定義に当てはまるかは分かりませんが、
      21年紅白で彼を知り深くハマっていくうちに知り得たこと、考えたことを記事にしていきました。
      賛否両論あるこの件を記事にすることによって、なつえさんのような気分になる方がいることも理解はしています。

      自分の気持ちを大きく揺さぶったこの件に触れずに進むことが、
      個人的に出来なかったことがこの記事を書いた動機でしたが、
      ファンだからこそ、この件を知り動揺してどう捉えて良いか分からないという
      私と同じ心理の方も多かったと思います。

      そのような方がこのサイトに辿り着くことで、
      少しでも思考整理の助けになればと考えたため、記事化したという面もあります。

      確かに、専門家ではないので中途半端な知識かもしれませんが、
      自分なりに折り合いをつけようと功罪併せ持つ人物を調べて、
      その情報から私個人の感想として「教祖に対して疑問を抱く」旨、書きました。
      そして「運営のプロモーション方法」に対しても疑問を呈しました。

      教団が掲げている教えや活動も調べた限りではクリーンなものでしたし、
      教祖がインド国内の発展に大きく貢献していることも事実です。

      年末の怒りのインストに関しては残念だなと、
      そのやり方に疑問を感じてしまう部分はありますが、
      教団自体や、それを信仰する彼本人の信仰心・思想を貶している訳では一切ありません。

      また、彼の作り出す音楽が好きな気持ち、
      彼の天才的な才能を世界に広げていって欲しい気持ちも変わりません。

      その辺りがこの記事内でしっかりと伝えられていなかったとしたら、
      それは私の文章力の問題です。申し訳ありません。

      同時に、ネットという不特定多数が閲覧できる場所に掲載している以上、
      この記事が及ぼす影響があることは承知していますが、
      なつえさんのようにこの記事を読んで頂いた方の「彼の音楽を好きな気持ち」に水を差すつもりも一切ありません。

      あくまで関連情報の掲載、それに対する個人の考えですので、
      相容れない部分は「そう考える人もいるんだな」程度に受け止めて頂き、ご理解いただければ幸いです。

      彼が作る音楽が素晴らしいのは間違いありません。
      少し離れたことで、その良さが再確認できました。
      それぞれの立場での意見やスタンスがあると思いますが、
      一緒に彼の音楽を楽しめたらなと思っています。

      改めて、貴重なご意見ありがとうございました。

      • お返事ありがとうございました。

        私はMJファン歴が長かったので、どうしても彼と重ねてしまうことが多いのですが、
        マイケルもものすごく平和主義でありながら、様々な疑惑を持たれ、強烈なバッシングを受けていました。
        結果、Heal the worldのような曲と、世界中を敵視したような攻撃的な曲をいくつも作り、一切人前に出なくなりました。
        (その時に、愛が大きい人は、その反動で憎しみも大きいのかもしれないと子どもながらに感じました)

        風さんが何も言わずアメリカに行ったり、曲を出しても告知しなかったりする態度は、やはりまだ年末からの本人の怒りや不安定な気持ち、運営としては騒動のほとぼり、全てが収まっていないのだと感じます。

        事務所による物販などでの「ステルス布教」を問題視するのは大事だと思うのです。(私も買うことはないでしょう)
        でも、彼の信仰対象を冒涜する意思がないのであれば、彼の名前とは切り離し、サイトを分けるなどの配慮をされた方が良いかと思います。

        このサイトのここのコーナーの、本当のところの意図はまだ良く分からないのですが、
        こういった活動が、風さんサイドに影響を与えていることは間違いなく、
        またそれ以上に、風さんのご家族や、一緒に仕事をされている仲間、彼を慕う後輩たちなど、数多くの方を傷つけていることはご理解いただけたらと思います。
        せっかくの充実した良きサイトですので、風さんの心への暴力とならないよう、切にお願いをしたいです。

        • なつさんが藤井風さんやその周りの方々を心配されている気持ち、
          ご意見はしっかりと受け止めました。

          恐らく、私となつさんとは寄り添いたい対象が違うと思われるので、
          これ以上意見を交換しても平行線になってしまうと感じます。

          そもそも、藤井風さん本人や運営側が自身の創作に信仰を色濃く反映し、
          アルバムタイトルにスローガンをそのまま引用して、
          グッズにまで転用してきたことが事の発端です。
          そこが、全くの事実無根のでっち上げで酷いバッシングを受けた本当に気の毒なマイケルの件との違いと感じていて、
          少なからず本人も受け止めて考えなくてはいけないのではと私は思います。

          そして、ここまでの運営や本人の対応を見ると、特に方針や姿勢を変えるつもりはないとうかがえます。

          出典元を明言せずに引用していたこと、
          好きなアーティストの言葉だと思ってグッズを身に着けていたファンが、
          外から見てサイババの信者と勘違いされ得る状況を作っていること、
          また、好きなアーティストの言葉じゃなかったことを知ったファンのショックや悲しみについて、
          倫理的、道義的に特に問題ないと判断しているということです。

          仮にこの記事を削除したところで、
          こんなサイトよりも遥かに影響力の大きい藤井風さんサイドの姿勢が変わらない限り、
          新しいファンの中から、アルバムタイトルの言葉の起源を知った時にショックを受ける方は出てくると思います。
          その方は、1人悶々としながらネットの情報を調べて自分なりに気持ちの整理をしていくでしょう。

          サイババのスローガンだと知っていた私でさえも、その後の怒りのインストには思っていた以上の衝撃を受けました。
          なつさんが藤井風さんサイドのことを慮るように、
          私は、自分と同じようにしんどい思いをした、または現在進行形でショックを受けているファンの方に寄り添いたいなと考えています。

          そんな大層な正義感がある訳でもなく、この記事の影響力なんてたかが知れていますが、
          存在が大きい方、声の大きい方の意見や、それに賛同する人に押しつぶされて、
          声をあげない小さな存在が抱える沢山の悲しみがなかったことになることだけは、絶対に違うなと考えています。

          自分の思考整理の過程を残しているのは、そういう気持ちがあります。
          ここまで来てしまったら誰も傷つかない方法なんてなく、どっちの意見もあってもいいのではないかと感じていて。
          この記事を読んで「こんな考えがあるのか」「ここは共感する」「全く賛成できない」と、自分の立ち位置を見つけてもらえたらと思っています。

          運営側から何かしらのアクションがあって、この記事の役割がなくなったら削除するべきだとは考えていました。
          なつさんからのコメントでその点を今一度考えたのですが、やはりまだ削除のタイミングではないのではないと判断します。

          繰り返しになりますが、決して藤井風さんのサイババに対しての信仰を貶めている訳ではありません。
          信仰があるからこそ、心奪われる素晴らしい音楽が作り出されたとも感じます。

          その信仰を音楽に乗せてビジネスをしたことが原因で様々な余波が生じてしまっていること、
          今まで応援してきたファンの中にショックを受けてる方が水面下に大勢いることも、
          藤井風さんサイドを慮る気持ちと同じように、思いを馳せていただけたら幸いです。

          この記事で傷ついている人がいるというなつさんのご指摘も常に念頭に置いて、
          今後についてはしっかり検討していきたいと思います。
          忌憚なきご意見、ありがとうございました。

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