パリ五輪2024開会式でのパフォーマンスに、ブレイキン選手でオペラ歌手のイケメンが登場。
話題になっています。
この情報過多な「ブレイキン選手でオペラ歌手のイケメン」は何者なのでしょうか?
この記事では、パリ五輪2024開会式に出演した「ブレイキン選手でオペラ歌手のイケメン」についてまとめました。
ブレイキン選手でオペラ歌手のイケメンは「ヤクブ・ヨゼフ・オルリンスキ」
ヤクブ・ヨゼフ・オルリンスキは、ポーランド出身のカウンターテナー(※女性の音域が出せる男性歌手)であり、ブレイキン(ブレイクダンス)の選手でもあります。
1990年11月8日にワルシャワで生まれ、幼少期から音楽とスポーツに親しんできました。
オペラ歌手とブレイキン選手という二刀流で活躍しているという、稀に見る肩書を持つ「ヤクブ・ヨゼフ・オルリンスキ」は、どんな経歴を経てきたのでしょうか。
ヤクブ・ヨゼフ・オルリンスキとブレイキンの出会い
ヤクブ・ヨゼフ・オルリンスキは、1990年ポーランドのワルシャワで生まれました。
オルリンスキは、幼い頃からとてもアクティブな子どもだったそうです。
様々なスポーツや身体活動に親しみ、多彩な才能を発揮していました。
実際に、オルリンスキはの幼少期は以下のようなスポーツに夢中になっていました。
- ビーチでのバックフリップ練習
- スケートボード、スキー、スノーボードなどのスポーツ
- カポエイラなどの格闘技系の活動
しかも、「どれもかなり上手かった」という本人談。
ウインタースポーツから格闘技まで、オルリンスキは幼い頃から体を動かすことが大好きだったんですね。
こうした経験が、後のブレイキンや舞台での基礎運動力や表現力につながったのでしょう。
オルリンスキは18歳でブレイキン(ブレイクダンス)に出会い、稲妻に打たれたような衝撃を受けたといいます。
「ブレイキンのもつ自由度の高さに感動した」と当時を振り返るオルリンスキは、ダンサーの個性を存分に発揮できるブレイキンに一瞬にして魅了されてしまいました。
音楽との出会いと聖歌隊での経験
一方、オルリンスキが音楽の道に進むきっかけは、小学2年生の時でした。
近所の聖歌隊の指導者に誘われたことが、オルリンスキの音楽人生の始まりとなったのです。
オルリンスキは指導者に「あなただけに、特別に渡すから」と名刺を貰ったことが嬉しくて聖歌隊に入隊しましたが、後で聞いたらみんなにそう言って名刺を渡していたというオチもありました。
各種スポーツに熱中しながらも、聖歌隊での活動を通じて、オルリンスキの音楽的才能が開花していきました。
オペラとの出会いは最悪
ブレイキンの出会いより早く14歳の頃に初めて鑑賞したオペラの印象について、オルリンスキは「正直、最悪に近かったかな」と答えています。
それまでは聖歌隊で美しい旋律のルネサンス音楽やポップソングばかりを歌っていたため、叫ぶように歌うオペラに対して、苦痛だとすら感じてしまったといいます。
しかしその後、聖歌隊でくじ引きの結果、カウンターテナーのポジションを担当することに。
このときを機に高音で歌うことに目覚め、すっかりハマってしまったといいます。
オルリンスキはオペラについて「演技、音楽、ダンス、歌、すべてのアートフォーム(芸術表現)が融合された芸術の最高峰」とその魅力を語りました。
その後、フレデリック・ショパン大学やジュリアード音楽院で本格的に音楽を学ぶことになります。
音楽との出会いが、彼の人生を大きく変えたのですね。
オペラ歌手とブレイキンの両立
ストリートカルチャーとともに育ったオルリンスキには、ブレイキンはライフスタイルといっても過言ではないほど密接な物。
そしてオペラとの出会い。
一見全く異なる対照的だとも感じられるブレイクダンスとオペラですが、その共通点は「フリーダム(自由)」だとオルリンスキは語っています。
どちらか一方を選ばず、ブレイクダンスとオペラを両立していることに対して、オルリンスキは考えを述べています。
- 不可能という言葉が好きではない。
- オペラとブレイクダンスの両立なんて不可能だと言われれば言われるほど反発したくなる
- 両方ともフィジカル的な強さを求められるので実質的なメリットもある
- 歌うときと踊るとき、両方の身体の使い方や感覚を知っていることで双方に応用できる
- それが自身の強みだ
パリ五輪開会式でのパフォーマンス
2024年のパリ五輪開会式では、オルリンスキはオペラとブレイキンを融合させたパフォーマンスを披露し、多くの観客を驚かせました。
ブレイキン選手でオペラ歌手のイケメンは何者?「ヤクブ・ヨゼフ・オルリンスキ」 まとめ
オペラ歌手とブレイキン選手という二刀流で活躍しているという、稀に見る肩書を持つ「ヤクブ・ヨゼフ・オルリンスキ」は、超絶フィジカルが強い、不可能に挑戦するイケメンでした。