三原舞依の持病(難病)との闘い!激やせや病気を乗り越えた道のりに迫る!

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2022年11月12日に行われたグランプリ(GP)シリーズ第4戦英国大会で初優勝を飾った三原舞依さん!

1999年8月22日生まれの23歳(2022年現在)の、今後の女子フィギュアスケート界を引っ張っていくであろう選手です!

出来栄えに大きなガッツポーズを決めて涙を流した三原舞依さんの姿に、本人と同じ位ファンの方々も喜んでいると思います。

というのも、「何度も逆境を乗り越えたシンデレラガール」というキャッチコピーにもあるように、 三原舞依さんのこれまでには、持病との闘いで何度も大きな壁が立ちはだかり、とても苦労が多い道のりでした。

今回は、 三原舞依さんの持病がどんな病気なのか、その病名や三原舞依さんの強さが垣間見れるエピソードを交えながら、フィギュアスケート復活への道のりに迫ります!

目次

三原舞依の持病は難病指定の「若年性特発性関節炎」だった

三原舞依の持病である「若年性特発性関節炎」とは

三原舞依さんは「若年性特発性関節炎(若年性リウマチ)」 という難病を患っていました。

「若年性特発性関節炎 (若年性リウマチ) とはどんな病気なのでしょうか。

若年性(じゃくねんせい)=16歳未満、特発性(とくはつせい)=原因不明の意味で、16歳未満の子どもさんに発症した6週間以上続く(=慢性)関節の 炎症 を若年性特発性関節炎、英語表記でJIA(juvenile idiopathic arthritis)と呼びます。JIAは、国際リウマチ学会(ILAR)の分類基準により7つの病型に分けられています。

出典元:難病情報センター

16歳未満の子供、1万人あたり1人にみられる病気で、遺伝性はない原因不明の難病です。

様々な病型に分けられているようですが、症状としては、関節炎や2週間以上続く発熱、皮膚の発疹、全身のリンパ節の腫れ、肝臓や脾臓の腫れ、漿膜炎などがあるようです。

三原舞依さんの場合は「小関節型」といわれるタイプで、主な症状は両膝の激痛。

フィギュアスケートに大切な膝に出る痛みは、本当にツラかったと思います。

病気が進行すれば関節が破壊され、機能を果たせなくなるということですから、一般人はもちろん、スポーツ選手にとっては競技人生を終わらせてしまうかもしれない大病ですよね。

三原舞依の持病発症時期は?

2015年12月、全日本ジュニア選手権の1週間ほど前のことだったようです。

膝が痛くなり「怪我かな」と思いテーピングを施し、痛みをこらえて全日本ジュニア、ジュニアGPファイナルに出場するも、それぞれ8位、6位に終わったとのこと。
帰国後、病院で診察を受けたところ「若年性特発性関節炎」と診断。

すぐに入院して治療にあたったその時の気持ちを、 三原舞依さんはインタビューでこう答えています。(抜粋)

・『1万人に1人の病気です』と聞いて、びっくりしました。

・全日本選手権は病室のテレビで観ていました。『来年、この場所に戻ることはできるのかな』と思いました。

・不安は大きかったです。でも『笑顔にしてたら気持ちが晴れるかな』と思ったり、『(全日本に)絶対に戻りたい』という気持ちが強くなったので、押しつぶされることはなかったです。

引用元:Sports Graphic Number Web

膝に水が溜まって足が曲がってしまって上手く動かず、特にショートプログラムの後に足がまったく動かなくなるほどの状態だったということで、本当に不安だったと思います。

痛みをこらえて出場したジュニアグランプリファイナル2015での演技はこちらです。

ショートプログラム

退院後も起き上がるにも苦労する状態で車いす生活を余儀なくされており、大きな不安を抱く中、きっとインタビューには答えきれない辛さもあったと思いますが、前向きにスケート復帰を目指す強い意志は本当に素晴らしいですよね!

成人期になっても約6割の患者は通院・治療が必要な状態であり、全体としておよそ8000人程度の患者がいるというこの難病。

病気に負けずに闘う三原舞依さんの姿は、同じ病気と闘う子供や成人した大人たちにも、大きな勇気を与えるんじゃないかなと感じました!

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三原舞依の持病発症から克服までの闘い

スケートができないことで痛感した「スケート愛」

そこから彼女の復活と休養を繰り返す若年性特発性関節炎との闘いが始まります。

病院のベットの上や、車いす生活を余儀なくされていた中で、テレビで他のスケート選手の演技を見るのが辛かったとか。

スケートに戻れるか不安な中、「好きなスケートを絶対に諦めない」「自分で自分を信じてみよう」という強い気持ちで、リハビリに励みました。

病気の間、心の支えになったこととして、インタビューではこう答えています。

スケートのテレビを見ることで「もう一度戻りたい」という気持ちが強くなりました。特に、憧れの真央さんの演技を見ました。あとはこれまでスケートをしてきた中で、嬉しかったことを思い出しました。昨季はジュニアのGPファイナルに出られたことと、(シニアの)GPファイナルに真央さんが出ていて同じ会場にいることが嬉しかったので、それを思い出すようにしていました。他にも自分の演技のビデオを見て、スケートを始めた時に比べれば、跳べるジャンプも増えて演技も良くなって、少しは成長しているんだ、と思うようにしました。

引用元:キャノン・ワールドフィギュアスケートウェブ

憧れの浅田真央選手の演技や、自分のこれまでの成長が心の支えだったんですね!

妖精のような軽やかな演技は、浅田真央選手に通じるとこがある気がしますね。

治療が順調に進み、2016年7月には新潟市のスケートクラブの発表会に呼ばれ、新しいプログラムを披露したときの気持ちを、 三原舞依さんはこう語りました。

発表会に呼んでもらえたことがうれしくて。ジャンプも戻っていなかったけれど、スケートをできる喜びがありました。

スケートをできる喜びが、生きてきた中でいちばん大きくなっていました。滑る楽しさ、幸せが、観ている方に伝わるようにと思って演技しました。

毎日、練習の氷に乗る瞬間に「ああ練習できる」と思って嬉しくなります。まだ朝起きた時に「今日は関節が痛いな」という日もありますが、病院ではなく家にいて目覚めていることが幸せで、練習が辛くないんです。

引用元:Sports Graphic Number Webキャノン・ワールドフィギュアスケートウェブ  

本当にスケートが大好きなんだなということが伝わってきますね!

三原舞依選手を象徴するプログラム曲「シンデレラ」との出会い

2016-2017シーズンでは、闘病生活により約5カ月のブランクがあり、シニアデビュー戦という状況ながらも、三原舞依さんは復帰後初のフィギュアグランプリシリーズ、アメリカ大会で3位を獲得します!

それからは、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでの快進撃が続き、一年前に病室で不安な思いの中観戦した全日本選手権では3位、四大陸選手権優勝、世界選手権5位など快挙を成し遂げました。

特に、四大陸選手権優勝に関しては、国際大会での合計200点超えは日本人選手としては浅田真央、安藤美姫、宮原知子に次いで4人目の達成者とのことで、憧れの浅田真央選手と並ぶ快挙となりました。

大好きなスケートを続けたい、憧れの浅田真央選手に追いつきたいという強い気持ちで頑張ったのでしょうね。

そんな三原舞依さんの復帰に、中野園子コーチが用意したプログラムは「シンデレラ」。

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